EVENT REPORT
B Lab Online Salon
第1回「生成AI時代の社会」・後半
B Labは2024年4月9日に、伊藤穰一氏(株式会社デジタルガレージ 共同創業者 取締役 / 学校法人千葉工業大学 学長)を招いて、「生成AI時代の社会」と題したオンラインサロンを開催しました。サロンの前半では、伊藤氏が変革論や拡張知能、そしてこれからの社会にとって不可欠な「多様性」などについて幅広くお話しました。後半ではB Lab所長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が行われました。その模様を紹介します。
Q&A
石戸: 美学やゴールを変えることは、非常に大変なことだと思います。日本においても、ゴール設定を変えることが難しい中、デジタル敗戦と呼ばれる状況にも直面しています。Joiさんは海外での生活も長く、外から見た日本の状況についてもよくご存じかと思います。そこで、日本がデジタル敗戦に陥った理由と、今後、AI敗戦にならないために、今我々は何をすべきかについてお聞かせください。
伊藤:それは非常に難しい問題です。最近日本に戻ってきて、日本の良さと悪さが表裏一体であることを感じています。例えば、日本は450年続いた茶道のように非常に重要な文化が熟していますが、その一方で保守的な面も強いと感じています。こうした硬直性が日本をデジタル敗戦に追い込んだ理由の一つであり、変化に乗り遅れる原因でもあります。
進化論的に見ると、さまざまな戦略が共存するエコシステムの中で、環境に適した戦略が繁栄し、適さない戦略が廃れるという現象が起きます。産業革命後の大量生産型ベンチャーの最適化においては、かつては西洋の一神教的な価値観が有利でしたが、環境破壊や戦争の危機が迫る不安定な世の中では、競争よりも協力や礼儀を重んじる日本の文化が次のフェーズで重要になるかもしれません。時代や環境によって最適な戦略が変わる中で、日本の文化や資産が次の時代に適している可能性があると考えます。
AIが最適化を進め、エネルギーが豊富に供給される時代になると、モノを大量に作ることよりも、溢れている既存のモノやエネルギーをどのように管理するかが重要になります。日本がWeb2.0に乗り遅れたのは競争力や最適化に弱かったからだと思いますが、もしかしたら、日本の文化は次のフェーズに適しているかもしれません。
今の話は楽観的なシナリオでしたが、一方でニューロダイバーシティの文脈から考えると変えないといけないとも思っています。日本の短い歴史を振り返ると、明治維新や戦後の日本には大きなイノベーションがありました。戦後の焼け野原からソニーやトヨタが生まれ、日本は驚異的な復興を遂げました。しかし、時が経つにつれ組織が硬直し、日本では柔軟な変革が難しくなっています。その結果、平均年齢が上がり、漬物石のような上司の下で若者が苦しんでいる状況です。
明治維新や戦後のようなリセットは、外部からの影響によって起こりました。私も、ここ20年ほどの間に経済の沈滞が引き金となり、自然に破壊とリセットが起きるのではないかと思っていました。しかし、現実はそうならず、日本は漬物石のように動かないままです。
リセットのために意図的に破壊を起こすことは、社会的に難しいでしょう。ただ、現在世界が戦争に向かい、混乱の中で辛い時期が訪れると考えています。その後、日本はダイバーシティを含め、もう少しオープンな社会になると思います。
ほっとけば壊れて、壊れたら強くなるというシナリオもありますが、もう一つは、若者たちが中心となって新しいムーブメントを起こし、体制をひっくり返すという、より積極的な変革の可能性もあります。例えば、石戸さんのような人々がムーブメントを作る時代です。これらのシナリオの間で、私はどれが現実になるのかと悩んでいます。
石戸:ありがとうございます。コロナは、遅れていたデジタル化に対する外圧となり、デジタル化、DXが進みました。日本は、100年以上続く企業が世界で一番多く、200年以上続く企業もほとんどが日本にあります。つまりサステナビリティを保つ特徴があります。また、宗教的な背景からAIやロボットとの親和性も高いと思います。そのような点から、「Society 5.0」を代表するようなテクノロジーと日本との親和性は非常に高いと感じています。これからの日本に、私は大いに期待していますが、いかがでしょうか?
伊藤:僕もそうだと思います。アメリカや西洋では、奴隷とマスターの関係が根深く、下の者が強くなることに恐怖を感じることが多いです。そのため、AIに対しても違和感を持ちやすく、AIを敵対視する傾向があります。しかし、日本は確かにそうではなく、テクノロジーとの親和性が高いと思います。
一つ言い忘れましたが、言語の壁が崩れてくると、日本もさらにオープンにならざるを得なくなるでしょう。そうなると、日本の美学や文化、例えば『エヴァンゲリオン』のような機械との融合を描いた作品が世界に広がることで、日本の独自性が際立ってきます。昔の日本の哲学者に代わって、今はアニメやゲームといったコンテンツが日本らしさを代表しています。
そういった美学が世界に発信されることで、海外からも多くの人が日本に興味を持ち、参加するようになるでしょう。これは1800年代のアメリカのギルデッド・エイジを思い起こさせます。当時、アメリカのピューリタンやボストンの知識人たちは日本に魅了され、仏教を学びに来ていました。このように、日本文化はフランスやアメリカに影響を与えてきました。
現代の日本が持つテクノロジーとの違和感のない融合性や、わびさびや茶道のような文化的バランスは、多くの人にとって魅力的に映ります。これがソフトパワーとして世界に大きな影響を与える可能性があります。
石戸:ありがとうございます。先ほど、若い層の動き方に対する期待感に関するお話がありましたが、視聴者から質問が来ています。
「AI時代に人間らしさが問われ、それが多様性であるというご意見にとても共感します。個人的な印象ですが、多様性の時代と言われる一方で、同じ若い世代がコスパ、タイパを重視しすぎて、一見無駄そうなものを排除する傾向にもあるように感じるのですが、Joiさんとしてはどう感じていらっしゃるか。」
日本だけでなく、世界中の若者を見ていらっしゃるかと思いますが、そしてまた大学の学長でもいらっしゃいますが、国内外の若い世代の状況についての感想をお聞かせください。
伊藤:今の若者は非常に多様で、マスコミュニケーションに一律に染められてはいません。かつては皆が同じドラえもんのエピソードを毎日見ていたような状況でしたが、今は情報のインプットが多様化し、多様な人々が様々なつながりを持っています。その結果、良くも悪くもバラバラになっていると感じます。
そのため、一概に「若者はこうだ」と言えない状況です。中には非常に最適化された行動を取る若者もいれば、多様な美学を競い合う若者もいます。多様性を良いと感じる人もいれば、悪いと感じる人もいるかもしれませんが、多様性そのものは変わらないと思います。
科学技術の開発においても、多くの人が一生懸命に新しいアイデアを考え、それらが競い合うことで、今まで想像できなかったものが生まれると思います。例えば、オードリー・タンやグレン・ワイルが提唱する「ラディカル・マーケット」という概念は、非常に尖っています。これは使用権をオークションで誰でも購入できるようにし、最適に活用できる人が使用権を持つという仕組みです。また、自分の時間もお金を払えば他人に提供できるという、資本主義的な考え方です。ただし、誰も永遠に使用権を持つことはできません。
このようなアイデアはブロックチェーン界隈の人々の間で注目されていますが、年配の者にとっては少し怖いと感じることもあります。それでも、一生懸命に新しいことを考え、実行しようとしている若者たちがいます。こうしたリアリティを若者たちが考え、実現しようとしているのを見ると、非常に興味深いと思います。
ですので、若者たちの間には多様なアイデアや美学が存在し、一つのカテゴリーに収まらないことを実感しています。
石戸:Joiさんは、本などでも「そもそも論」を考えるタイミングだとおっしゃっていると思います。現在、「なぜ」を問うことがさまざまな場面で起こっています。そもそも論を疑うことで、これまでの当たり前を変えるきっかけにもなり得ると考えます。今、多様化に向かって一歩を踏み出せる良いタイミングなのではないでしょうか。
その際、自律分散協調が重要なキーワードだと感じます。WEB3は、自律分散協調的な社会を目指すフィロソフィーだと考えられます。ただ、インターネットが登場した当初から、自律分散協調がそのフィロソフィーであり続けました。しかし、結局のところ中央集権的な構造に回帰する傾向もありました。今回の新しいムーブメントでは、今度こそ自律分散協調的な社会を実現できるのか、が問われると思います。いかがでしょうか?
伊藤:
これはスライドを使って説明しますね。この青い波の底が非中央集権で上が中央集権です。この図のとおり、時間とともにコラボレーションとコミュニケーションコストが下がり、複雑性が増していきます。そして時間とともに中央集権と非中央集権の間を波のように行き来しながら動いています。
マーケットは非中央集権で、じつは大企業はマーケットより効率が良い。これはロナルド・コースの「The Nature of the Firm」で議論されています。
インターネットの発展も、初期は非中央集権的な性質を持っていましたが、徐々に中央集権化が進んでいきました。しかし、Web2では一部反発があり、ブログやソーシャルメディアなどは一時期分散型でしたが、再び中央集権化が進みました。
現在のweb3では、再び非中央集権的な設計が推進されています。しかし、これも中央集権化の傾向があり、大規模言語モデル(LLM)は特に中央集権型です。ただし、LLMからもっとライトウェイトなProbalistic Programで、データやコンピュートリソースをそれほど必要としないAIプログラムが今後たくさん出てくるのでまた非中央集権になります。
このように、漬物石の中央集権型おじさんがいると、若い世代はそこから逃げようとし、非中央集権型の設計を始めます。そこでイノベーションがおきます。ただ、その若い層も段々年をとってくると、「お金っていいよね」となるので中央集権に譲ってしまいます。物理学のように、中央集権にお金と権力は流れていってしまいます。ただ、それに反抗する力があって、うねっています。ただ、常に非中央集権的な方向にプレッシャーをかけてないと、中央集権は何千年も続いてしまう可能性があるので、そこだけが心配です。
石戸:歴史は繰り返していうということですね。とはいえ、社会全体としては、制度や社会的な文化も含めて、自律分散協調の方向に徐々に向かいつつあると思います。その際、Joiさんと私の共通点であるMITメディアラボのニコラス・ネグロポンテさんが「測れるものはつまらない」という発言をされたことを思い出します。Joiさんも、これまでのGDPとは異なる測り方や、お金に換算しにくいものが重要だとおっしゃっています。同時に、そういった価値をある程度可視化できる技術としてNFTなども取り上げられています。
そこでお聞きしたいのですが、Joiさんが考えるこれからの物差しとして、測れるものにしてしまった時点でつまらないというジレンマを抱えつつも、新たに考慮すべき軸はどこにあるとお考えでしょうか?
伊藤:やはり、中央集権型通貨の交換可能性の話だと思います。例えば、大学の学位ってそのままお金に変えられません。博士号を1000万円に変えることはできないし、1000万円を出したからといって博士号がもらえるわけでもない。交換は不可能だけれども、ただ、学位があると少し給料が上がるし、学費を払わないと学校にも行けないので、全く関係がないわけでもないのですよね。
つまり、関係がないわけではないけど、直接交換は不可能だったり、交換するために時間がかかったりする。これまでの資本主義経済は、なるべく早くキャッシュを得ることを最適化しようとしています。
だから、DAOを作ったりNFTを利用したりしても、なるべく早くキャッシュに換えて土地を買うというのが一般的な感覚です。でも、ファンクラブを考えている人や、本当に長期的な価値を創造する人たちは、すぐにお金に換えなくてもいいはずです。
そう考えると、日本には数百年続く会社や伊勢神宮、400以上のミシュランスターがあるのは、お金のために最適化しているのではなく、美学としておいしいものを作る日本人がいるからだと思います。だから、僕はお金のためだけではない活動をすることや、経済的に発展しなくても生きがいを感じることが多い日本人が多いと思う。
確かに、会社の生産性が悪いという問題もあるけど、それをどうやってNFTやクリプトで表現するかが課題です。今は、すべてを早くお金に換えようとしているけど、これをあえて逆にして、長期的な視点にする設計が必要だと思います。
これは今、日本の地方自治体や一部のコミュニティが一生懸命考えていることだと思います。長期的に多くの人のために最適化することは社会のためになり、短期的に自分の欲だけに走ると、セルフィッシュで破壊につながるケースが多いです。そうしたことをNFTやクリプトで表現できたらいいなと思います。
石戸:ありがとうございます。その点に関して、コミュニティごとの価値観の共有も非常に重要だと思います。視聴者から次のような質問が来ています。「Web3自体が、DAOのようなオーナーシップを持ってコミュニティに参加することが容易な社会になるとしたら、興味を持つことやコミュニティに参加したいという意欲や気持ちが今まで以上に重要になるのではないか。より社会性や外交性のある人が活躍する社会になるのでしょうか。新しい社会のメリットを享受できる人というのはどのような人なのでしょうか。」教育にも関わると思いますが、どういう力やスキルを持った人がこれから大事なのか、という視点も含めてお話しいただけると嬉しいです。
伊藤:だんだんシフトしてくると思いますし、業界によっても変わると思います。ただ、顧客や社員、株主を引き寄せるために、その会社の倫理的な魅力を磨いて表現することがますます重要になってきます。例えば、私の妻はパタゴニアが大好きですが、ビジョンや会社理念がよく表現されているため、他に選択肢があってもパタゴニアを選びます。
現在では、会計やAIにより、会社がどのような活動をしているかが明確に分かるようになってきました。これからは、例えば会社の男女間の給与格差の比率や、自分が気になる5つのトピックに関する動きがどうなっているのかを疑問に思った時に簡単に分かるようになるでしょう。また、自分の美学に合わない会社の商品をコンビニで紹介しない、また社員採用に関しても、今は親が魅力を感じるブランドに子どもたちが就職することが多いですが、将来的には子ども自身の嗜好や価値観がより強く表現されるようになるでしょう。そうなると、会社や国も含めて、皆が社会全体にとって何が最善かを考え、それをどのように自分の組織に取り入れ、コミュニケーションしていくかが重要になります。
ただ、現在のコミュニケーションのプラットフォームの多くは、利益の最適化のために作られています。これらのプラットフォームは摩擦や分断を引き起こすような最適化がされており、本来であればみんなが体験している感覚を共有し、理解し合うための社会的な会話を促進すべきです。しかし先ほどのジェットパックじゃないですけど、炎上の最適化の方向に向かっているところにガソリンをかけてしまうと、必ずしも良い倫理を実現することは難しいでしょう。
そのため、私は現在のソーシャルメディアとは異なる、コミュニティ内でのコミュニケーションが重要だと思います。例えば、NewsPicksなどのように、オープンではないコミュニティの中で、みんなが自由に話し合える場所が増えてきています。また、DAO(分散型自律組織)や地域のプロジェクトもその一例です。
以前は、すべての人がつながれば問題は解決すると楽観的に思っていましたが、実際にはそうではありませんでした。むしろ、ローカルなコミュニティが多様性を持ちつつ、それぞれの文化を尊重しながら活動することが重要です。こうしたコミュニティの中では、しっかりと倫理を磨くことができると思います。ローカルコミュニティをつくったり参加したりする。
そして、例えば、自分が祖父母のケアをしながら、「外は暑いよね」と気候の影響を感じ働くといった日々の体験に基づいて、自分の人間性やそこからうまれる倫理をどう表現するか。こうしたことを表現できるようなコミュニティができると、いい方向にパラダイムシフトすると思います。
石戸:ありがとうございます。話が少し飛びますが、どうしても聞いておきたいことがあります。拡張知能の話がありましたが、人間がテクノロジーをうまく活用して知能を拡張していく先に、マシンと人間、テクノロジーと人間の融合の世界があると思います。特にブレインテックの分野は非常に進展しています。
先ほどニューロダイバーシティの話もありましたが、社会全体として多様性に対する寛容度を上げていくことが大切です。同時に、眼鏡をかけることで視力が悪い人でも困らないといったことが示すように、技術の力で身体を拡張し、一人ひとりが生きやすい方法を模索するアプローチもあります。そこで、ブレインテックによって脳機能を拡張することについて、その可能性や今後の進展の深度についてご意見をお聞かせいただければと思います。
伊藤:僕はその話がとても面白いと思います。人間の脳は既にかなりの可塑性を持っていて、例えばアマゾンの原住民の脳を見ると驚かされます。彼らは自然と直接コミュニケーションができ、今何が起きているのかを本当に把握することができます。育った環境により、脳が常に自然の変化を理解するように最適化されているのです。
一方で、私たちのようにパソコンに向かって自然とほとんどコミュニケーションしていない人は、脳がコンピューターの方に最適化されています。どちらが良いということではなく、自然で育った人はコンピューターの扱いを覚えるのが大変ですし、私たちがジャングルに入れば何が起きているのか分からないのです。
これから様々な拡張デバイスが登場すると、人間の脳はそれに順応していくと思います。ただ、人間の脳を倍に強化したら何が起きるかはまだ分かっていません。試行錯誤しながら進めるしかないと思いますし、やらないように言っても実験は続けられるでしょう。
ここで注意すべき点は、市場や株式会社、国家などが非常に複雑なインテリジェンスを持っていることです。そこにものすごい力を加えると何が起きるか。絶対に予測はできませんが、ある程度は想像がつきます。慎重に実験を進める必要があります。私は、良くなる可能性と悪くなる可能性が半々だと思っています。悪くなる可能性も十分にありますが、実際に何が起きてどう対処すればいいかを感覚を掴むためには試してみるしかありません。上手に解析をしながら実験を進め、みんなとコミュニケーションを取りながら進むしかないと感じています。これは少し無責任な結論かもしれませんが、現状ではそれが最善のアプローチだと思います。
石戸:ありがとうございます。お話したいことがたくさんあるのですが、そろそろ時間なので、最後に一言いただきたいと思います。バウハウスの話がありましたが、100年前のバウハウスは非常に面白いムーブメントでした。Joiさんも今の時代に、さまざまなムーブメントを起こしたいとおっしゃっていました。ムーブメントを起こすという視点で最後、皆さんにメッセージをいただいて、おしまいにしたいと思います。
伊藤:Whole Earth Reviewsの立ち上げに関わったスチュアート・ブランドとよく話しているんですが、海の波ってありますよね。風が吹くと波ができるんだけど、最初は小さな波がたくさんあって、それが少しずつシンクロしていき、最後に大きな波になるんです。
僕もなんとなく自分の周りで風が吹いているような感じがして、違和感を感じながら少しずつムーブメントを起こしていると、例えば、私がニューロダイバーシティのムーブメントを進めていて、実は石戸さんも同じようなことをやっていると、これが合体しようとするんです。合体すると、最初はバラバラだったものがシンクロしてきて、他のムーブメントとも繋がっていく。
だから、うまくいけば、世の中がこういう風に流れていて、みんながバラバラでやっていても、シンクロするべきものは自然に繋がる気がします。だから、自分のムーブメントが大きいか小さいかを考えるよりも、まず自分の周りの人たちと良いムーブメントを作れば、それが自然に大きくなるのではないかというイメージです。
石戸:ありがとうございます。点を線にして面にし、大きな波を起こす。私もその一助になれたらと思いますし、B Lab自体もそんなムーブメントのプラットフォームになれたらと思っています。
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