EVENT REPORT
B Lab Online Salon
第1回「生成AI時代の社会」・前半
B Labは2024年4月9日に、伊藤穰一氏(株式会社デジタルガレージ 共同創業者 取締役 / 学校法人千葉工業大学 学長)を招いて、「生成AI時代の社会」と題したオンラインサロンを開催しました。サロンの前半では、伊藤氏が変革論や拡張知能、そしてこれからの社会にとって不可欠な「多様性」などについて幅広くお話しました。後半ではB Lab所長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が行われました。その模様を紹介します。
変革論
大酸化事件をご存知でしょうか。20億年から30億年前に、シアノバクテリアが現れました。この生物が自然発生したのか、それとも宇宙から来たのかはわかりませんが、彼らは最初に光合成機能を持った生き物でした。シアノバクテリアから、すべての植物のフォトシンティセス(光合成)が派生したと考えられています。
当時、地球上の生物はほとんどが微生物で、酸素は存在せず、むしろ有害でした。酸素は物質を酸化させ、錆びさせたり壊したりすることができます。その結果、当時の多くの生物が絶滅しました。地球の歴史上、最も多くの生物が絶滅したのが、この大酸化事件です。
シアノバクテリアが光合成機能を持ち、酸素を生み出すことは、実はテクノロジーの進化といえます。遺伝子情報に基づいて、彼らは二酸化炭素と水を使い、太陽のエネルギーでグルコースと酸素を作り出します。これって現在の多くの生物にとって必要不可欠なプロセスであり、まさに新しいテクノロジーなんですよね。
多細胞生物は約6億2千年前にできて、当初は海底に広がる大きなマット状の生物だけでしたが、その後、5億4千年前のカンブリア爆発によって、目や骨など多くの新たな特性を持った多様な生物が登場しました。この爆発的な進化の理由はまだ解明されていませんが、この時期に驚くほどのイノベーションが起きたのは事実です。
その後、約6600年前に氷河期が訪れました。この寒さから体温を調整する哺乳類が登場し、さらに31万5千年前には人類が登場し、現在に至っています。ここで起こった変革は酸素が生まれるテクノロジーです。デジタルがそうかどうか分からないけども、世界が根本的に変わるし、生きられるものが違うし、できることも拡張する。この次元で考えると、非常に興味深いです。
かつて千葉大学の学長であった松井孝典さんが最後に執筆された本は興味深いです。地球の進化、生物の進化、人間の思考の進化、そしてテクノロジーの進化について触れており、最終的にAIについてまで言及しています。これにはかなりの類似点があります。進化の中での変革や突然変異は非常に重要だと感じます。僕は今のデジタル変革っていうのは大きいスケールの中での非常に重要なポイントであると思っています。
この表は異なる時間軸の変革論を示しています。まだ完璧な表ではなく、今後も修正を加えようと思っています。
僕は、会計はとても重要だと考えます。約7000年前には粘土のタブレットを使った台帳のような簿記が行われていました。当時、祭司が大都市のトップにたち、神様から権力を与えられ、中央集権型の統治が行われていました。1万人以上の市民のリソースが中央管理されるようになり、この会計システムと神様からの権限によって、初めて1万人以上の都市が形成されたのです。この時期には文明のレイヤーが生まれ、テクノロジーの進展が見られました。
さらに、テクノロジーのレイヤーで考えると、約600年から700年前には複式簿記がインクと紙で行われるようになりました。複式簿記や会計、また統計や確率論によって、金利や保険やリスク管理などが発展しました。これにより、多くの会社やエンティティが貸し借りを行うことができるようになり、市場が形成されました。
面白いのは、当時の会計帳簿には、最初に十字架、そして最後に「アーメン」と記載されており、神様に誓うことで数字の正確さが保証されていました。この慣習が徐々に会計基準や法律、弁護士、会計士、裁判所に代わっていきました。会社について考えると、会社というのはさまざまな約束事によって成り立っているのですよね。顧客や取引先、株主、社員との約束は法的な文書に記載され、取引の記録は会計によって管理されています。でも、全部紙に残すというのがまだ残ってるんです。
現在の上場企業は、結局は会計や契約書は最終的にはまだ紙で処理していて、書類作成や解析も人手に依存しています。それでも非常に複雑なシステムが構築されていますが、おそらく約7000年前のメソポタミアの市民に現代の市場経済や資本主義、民主主義を想像しなさいと言っても想像ができないはずです。
今度は、紙とインクからデジタルになって、会計や契約書はブロックチェーンやスマートコントラクトに移行しています。ここで使用される言語は法律や会計の専門用語からシンボリックなプログラミング言語に変わりつつあり、不確実なリアルな世界のモデルを表現できるようになっています。モデルをつくったり、インタラクションしたりするには、自然言語のほうが人間にとって親しみやすいので、その中間としてLLM(Large Language Model)のような技術も活用されています。
これにより、一般の人々がさまざまな質問を投げかけインタラクションできる、すごく複雑なワールドモデルがあって、それがブロックチェーンによって適切に記録・運営されると、今想像できないほど、より分散型で安定的な繁栄が実現される世の中になる可能性があります。これが、僕の夢です。
表の一番右の列が全ての結論のようになっていますが、各レイヤーを僕らが一生懸命作っています。一番上の「どのような世界を望むか」という点を、これから考えていかなければなりません。創ったからといって、必ずしも社会のレイヤーが良いものになるとは限りません。これは今後の重要な課題となるでしょう。
拡張知能 Extended Intelligence
Artificial Intelligenceというと、人間IntelligenceとそうではないIntelligenceに区別しがちで、アメリカではターミネーターのようなイメージがあるかもしれませんが、僕はAIを拡張と捉えています。
例えば、株式会社は法的に人格権を持っています。株式会社はうまくいけば無期限に存続し、人間を社員としてコントロールし、誰も会社を消すことはできません。さまざまなガバナンスや株主総会で会社をコントロールしようとしても、会社は自己の利益最大化のために環境を破壊する可能性もあります。
株式会社は様々な活動を行っており、AIに似ています。人間が関与していることはもちろんですが、株式会社は非常に複雑なシステムであり、一人の人間以上の情報を持ち、力を行使します。僕は、民主主義や株式会社に技術、例えばLLMやProbablistic Symbolic Modelingが導入され、国や企業の機能が拡張されることに対しては、その影響が良いのか悪いのかを判断するのは非常に難しいと考えています。
一般的に、テクノロジーは短期的な影響を高く見積もり、長期的な影響を低く見積もる傾向があります。また、多くの場合、テクノロジーに対する見解はポジティブな視点から始まる傾向があります。
100年前、特殊相対性理論は1903年頃から始まりました。その頃、物理学が発展するにつれ、哲学者たちは「リアリティとは何か?」など、より哲学的な問いに取り組むようになりました。しかし、最終的には原子力と原爆の登場に至ります。
僕の個人的な意見ですが、原子力は将来的には非常に大きなエネルギー源となる可能性があります。新しいデジタル技術やAIも同様ですが、我々がコントロールできない要素として、社会を拡張しています。
ただし、原爆が開発された場合、国家は戦争で使用する可能性があります。原子力発電所は適切なアーキテクチャーを持っていれば安全である可能性がありますが、そうでない場合は危険です。
私はこれらの技術全般とAIを、社会にジェットパックを装着することに例えることができると思います。ジェットパックを社会につけているようなものだと思っています。社会が進む方向に速く進むことができますが、それは必ずしも良い方向とは限りません。
どの方向に向かっているのか、そして我々が長期的に最も良い方向に向かうためには、どのようにすれば良いのか、これが重要な課題です。
Complex Adaptive Systems
世の中は複雑で、自己適応型のシステムです。進化論の観点から見ると、最初はシアノバクテリアが存在し、酸素とグルコースを利用する動物が進化しました。循環型経済の考え方では、誰かの廃棄物が誰かの食べ物になり、システムが複雑化していきます。
地球は我々が壊さなければ、非常に安定した温度を保っている複雑なシステムです。人間の体温も複雑なシステムですが、安定しています。誰も中央管理していないのに、システムが安定しています。こんなに複雑なのに、体温が安定しているのは実は凄いことです。このような自己適応型システムは非常に重要ですが、我々はまだその理解を十分にしていません。
だから、進化論というのは実はとても重要で、なかなかデザインするのが難しいのです。ただ、進化論と複雑性自己適応型システムを理解するためには、システムの話をしなければいけません。
システムというのはステイトがあり、それを見て、そして見たことによって自分のシステムのステイトのゴールがあり、入りと出をいじるというのが基本的なシステムです。
分かりやすい事例でいうと、お風呂に入りたい場合を考えてみましょう。まず、ちょうどいいお湯の量を設定し、栓を止めて蛇口を開け、お湯が適切な線に達したら止めます。しかし、温度も重要です。そこで、熱いお湯を入れつつ、冷たい水を出して温度を調整します。また、ボイラーには多少の遅延がありますし、料金を支払っていないとボイラーが動きません。このように、良いお風呂に入るためにはシステムがどんどん複雑になっていきます。毎日温かいお風呂に入るためには、実は非常に複雑なプロセスが関わっています。
この複雑なシステムというのは、なにかのインプットやアウトプットになり、どこかで関係しています。それぞれの要素に誰かが関与していて、各自のゴールがあります。しかし、全員のゴールがどうなっているのかはなかなか見えません。ただし、各自がそれぞれのゴールに向かって活動しているため、システムはどんどん複雑になっていきます。
複雑になってくると、このシステムをいじるとどうなるか、段々分からなくなってきます。段々コントロール不可能になってきます。
MITのシステム学者であるDonella Meadowsは、自己適応型システムやシステム全体に影響を与える方法についてリストを作成しました。このリストでは、一番上には最もやりやすいものが、一番下にはやりにくいけれども影響力の大きいものが並んでいます。例えば、お風呂の大きさを変えることや蛇口のスピードを調整することなど、さまざまな要素を操作することでシステムに影響を与えることができます。
リストの真ん中には「ルール」という項目があります。これは例えば、環境を安定させるために炭素税を導入するなど、ルールを変更することを指します。しかし、いくらルールがあっても、もし会社のゴールがお金の最適化であれば、そのルールをできる限り緩和して自分たちのやりたいことを進めようとします。このように、ゴールは非常に重要ですが、そのゴールはどこから来るのでしょうか。
例えば、現代の会計法では全ての計算が最終的に通貨で換算されます。通貨で表現される価値が最も重要視されるため、どうしてもお金の最適化が目標となってしまいます。これは、会計というパラダイムの中では自然なゴールとなるのです。
今のお金の計算のシステムをベースに、SDGsの会計やトリプルボトムラインなどの会計基準をいじって、少し社会的意義があるものを活性化させようとしていますが、でもやっぱり最後はお金に換算されるわけですよね。ですので、パラダイムシフトをどこまでできるのか。パラダイムシフトはエネルギーと努力を必要とします。これが、ムーブメントや社会運動なんですが、パラダイムが変わるとゴールも変わります。ただ、パラダイムを変えるというのが難しくて、変えるためにはムーブメントが必要で、ムーブメントにはエネルギーが必要です。
実際、世の中を変えるためには、結局のところ、みんなの美学を変えなければならず、美学を変えるためには多くのエネルギーが必要です。エネルギーは、人々の経験や社会的なつながりなど、多くの要素から生まれます。そのため、人々がどれだけ行動に移ろうとするかが重要な要素となります。
これは一つの事例です。Monopolyというゲームはみんな知ってると思います。プレイヤーが止まったマスの土地が空いていたら購入し、他のプレイヤーがその土地に止まると家賃を徴収し、最終的には他のプレイヤーを倒産させ、最後に残ったプレイヤーが勝利します。
実はこのゲームの元になったのは、1904年に作られたランドローズゲームです。このゲームは、ヘンリー・ジョージという共産党のはしりのような方によって作られ、資本主義の危険性を伝えるために設計されました。資本主義を批判し、子供たちにその危険性を教えるためのものでした。
しかし、面白いことに、パーカー・ブラザーズがモノポリーの権利を取得した際に、ルールをほとんど変えずに、ゴールだけを変更しました。それまでの「倒産させたら悲惨だよね」というゴールから、「最後に生き残った人が勝ち」というゴールに変更されました。このように、ルールを変えるよりもゴールを変える方が大事であるという一つの事例と言えます。
100年前にバウハウスというデザインのムーブメントがありました。このムーブメントは、ちょうど大量生産と産業革命が起きていた時代に生まれました。その前の農家の時代は、柔らかく曲線的なデザインや木材を使用した建築物が一般的で、日本では平屋などが主流でした。しかし、バウハウスの時代になると、コンクリートやガラスなどの新しい素材が利用され、高層ビルなどの大規模な建築物が可能になりました。また、バウハウスからは、ヘルベチカなどのミニマリストのフォントも生まれました。
MITは確か最初にヘルベチカのロゴを使用した大学の一つです。彼らのアプローチは、「余計なものは不要!」というミニマリストの美学を体現しており、デザインやフォントからセンシビリティまでを変えようとしています。
しかし、大量生産時代では、環境やインクルージョン、ダイバーシティなどを犠牲にしながらスケーラビリティを追求する一面もありました。そして、このスケーラビリティの追求が現代の問題や課題の根源となっており、今は新しい感覚が必要であると言えます。そのため、変革が求められています。
エネルギーがどこからくるかと言うと、「やっぱり今の美学ってちょっと違うよね」「ちょっと昭和のノリって嫌だよね」と思う若い人たちがいっぱいいて、その人たちが自分たちの新しいノリを表現できて、その表現のもとで「お金の換算だけじゃないよ」「最適化だけじゃないよ」という考え方が広まってくると、ゴールもガラッと変わる可能性があるのではないかと考えます。それが今起きようとしていることではないかというのが僕の一つの仮説です。
多様性 vs 標準化
教育に関連すると、大量生産型のバウハウス的なアプローチでは、人々が工場でロボットのように働き、サラリーマンになる必要があるとされてきました。そして、余計なノイズを排除するために、学校では強いところはこれ以上伸ばさずに、弱いところを補うことが強調されます。そのため、大学に進むためには数学や国語など、あらゆる分野でバランスよく能力を身につける必要があります。この標準化された人材像は、現代の美学として非常に重要視され、個人としては仲間外れになりたくないし、自分の強みを伸ばすよりも、チームで働くことがゴールとされています。
ここからは、先ほどのAIの話につながります。AIとロボットの時代になると、弱みはAIやロボットに補われる可能性があります。例えば、私自身も日本語を完璧に読めませんが、AIがその不足を補ってくれます。したがって、どの程度日本語の学習に時間を費やすべきかという問題は、今も私が悩んでいることです。
さらに、ロボットは肉体的な作業を補ってくれる可能性があります。その結果、自分の弱みは社会やロボットが補ってくれるようになるので、むしろ自分の強みをさらに強化することにエネルギーを注ぐ必要があるかもしれません。
現在の生成AIは、人間が作成したデータを吸収し、拡張しています。そして、新しい発見や感覚を表現することがAIにとって非常に重要なインプットです。
千葉工大の創業メンバーである西田幾多郎さんが述べた「絶対経験」という概念があります。人間は経験を通じて学びます。例えば、木を見てそれを木だと認識する前に、木に関する経験があります。人間が経験した後、その概念をコンピューターに伝え、AIの知識に変換されます。しかし、重要なのは、絶対的なリアルワールドを経験して、その感覚をちゃんと自分自身を変革するエネルギーに変換しつつ、それをクリエイティビティに結びつけることです。このプロセスにおいて、多様性があることで知識や感覚が広まることが重要だと思います。これまで「フェアネス」や「競争」のために多様性が必要であるとされてきましたが、今ではもっと多様性をサポートできるはずです。そして、学びの多様性もサポートできるはずです。今のAI時代において、人間の価値は何かと考えた時、この「多様性」にあると考えます。
Neurodiversity
様々な多様性が存在すると思いますが、脳の多様性が必要な割には十分に知られていないと感じます。先ほど述べた標準化された人間とは逆の側面ですね。
自閉症をとっても、健常者と自閉症者との違いのほうが、自閉症と自閉症の人との距離よりも短いと感じます。つまり何が言いたいかというと、自閉症の多様性は非常に広範囲にわたります。その結果、自閉症の人向けの学校というのはありえなくて、なぜなら、自閉症の人々の中にはアインシュタインのような才能を持つ人もいれば、身体的に十分に機能しない人もいるし、すごい凸凹しています。
この多様性に富んだ状況の中で、「普通の人間」という概念は実際には存在しないと考えます。結局のところ、みんなが凸凹で、今の標準化された社会では、生き残れる人々が健常者とラベル付けされる一方で、実際には誰もが個々に異なる特性を持っています。この個々の特性をどのように尊重して活かすか。また、その中にもたくさんのクラスターがあります。例えばその一つに天才クラスターがあります。ほとんどの天才は自閉症だと思います。一方で、ほとんどの自閉症の人は天才ではありません。また、天才の中にもさまざまなタイプがあります。例えば、日本のノーベル賞受賞者は29人しかいませんが、MITには97人のノーベル賞受賞者がいます。そして、MITの約6割から7割が自閉症の傾向があると言われています。
ノーベル賞受賞者やその他の優れた人々と話していると、ノーベル賞受賞者になるには誰かが途中で「ツン」と背中を押す必要があるといわれています。「それっておもしろいじゃん!」と背中をポンと押してあげることで、その子が夢中になっていることに一気に取り組み、その結果ノーベル賞が出てくることがあります。しかし、日本やアメリカでも、一般的には逆のことが多いです。何かに夢中になっていると、それはもういいからやめて、弱点を克服しなさいと言われることが多いのです。だから、誰かがその人の強みを見つけ、それをさらに伸ばすようにサポートすることが重要です。
また一般的に、クリエイティビティやクリエイティブ・コンフィデンスは狭まってしまいがちです。学校を卒業するためには内在的な動機はあまり必要とされず、恐怖や褒められるために、いかに指示通りに物事をこなすかが重要とされています。これが今の日本のお利口さんの基準です。しかし、自分の特徴をよく理解し、強みを活かす内在的な動機も重要です。PhDを取得するには内在的な動機が不可欠ですが、中学校くらいから自分の特徴的な部分を叩かれてしまうことが多いです。それをどうやって生き残らせるかが非常に重要です。
最後にはカルチャーシフトに戻るのですが、日本では「周りに迷惑をかけたくない」「どう思われるだろう」といった考えが強く、はみ出したくない文化があります。これがアートや美学にも影響しています。日本ではみんなが揃っていること、例えばモンツキや袴をピシッと揃えることが重視されています。そのため、ニューロダイバーシティを日本の美学に合わせるには、本当に音楽やアート、コミュニティの力が必要です。そして、ここで若いジェンZの子たちが、かっこよくニューロダイバーシティのことを発信したり。
野田聖子さんと話していたときのことですが、彼女がパラリンピックの広告を出そうとした際、ある広告代理店から「障害者の広告なんて誰も見たくないし、働いてもらうのも難しい」と跳ね返されたそうです。それでも彼女はプッシュし続けました。その結果、障害者が出場するパラリンピックスポーツのファンが増え、そしてみんなが凄く喜びました。 だから、昭和のおじさんたちや僕らの世代は感覚的にずれている部分があるのです。ダイバーシティは美しくないというイメージがありますが、今の若い世代はもっとオープンな考えを持っている気がします。このレイヤーが引っ張っていかないと、理屈だけでニューロダイバーシティを推進しても、変わらないかもしれません。若い世代の感覚を取り入れ、そこからアプローチすることが重要だと思います。
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