EVENT REPORT
B Lab Online Salon
第2回「生き心地の良いコミュニティや地域形成の秘訣」・後半
第2回目のB Labオンラインサロンは、6月20日(木)に岡 檀氏(情報・システム研究機構 統計数理研究所 医療健康データ科学研究センター特任准教授)をお迎えし、「生き心地の良いコミュニティや地域形成の秘訣」についてお話いただきました。後半ではB Lab所長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が行われました。その模様を紹介します。サロンの前半では、岡氏が「生き心地の良いコミュニティや地域形成の秘訣」ついて講演し、後半ではB Lab所長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施されました。その後半の模様を紹介します。
Q&A
石戸: さっそくですが、視聴者から質問がきています。
「柔軟で新しい価値観を受け入れる旧海部町の文化や行動、思考パターンは、他の地域、人口規模や年齢分布等が異なる地域にも適用可能なのでしょうか。例えば、東京をより住みやすい町に変えたいと思ったときには、どこから始め、何を行うのが良いとお考えでしょうか。」
お話を伺い、自分の地域でも変化を起こしたいと考える人も多いと思います。ご質問にあったように人口規模が大きい町においても適用できるのか、そして我々は何から取り組めば良いのか、これまでの知見を踏まえて教えてください。
岡:ありがとうございます。それは本当によく言われることで、私たち自身も常に考えていることです。どうやって「良い」と言われたことを一般化していくかという問題については、私たちは様々な人々と共同研究を進めています。
まず、人口規模の話が出ましたが、人口が非常に多いところでいきなり導入してもうまくいかない可能性が高いです。未来の都市デザインを考えたときに、いろいろな意見はあると思うのですが、私たちのチームが考えているのは、やはりコンパクトであるということです。学校区くらいのエリアごとにコミュニケーションの形態や町のデザインを考えることで、旧海部町の見習うことができる点を移行できるのではないかと考えています。
これは未来の話になってしまいますが、年齢分布が大きく変わり、現在過疎地と呼ばれる地域に本当に人がいなくなって再構築が必要になる時に考えていくべきだろうと思います。少し先の長い話になってしまいますが、町のサイズと旧海部町のコミュニティのあり方は密接に関連しているので、そういった観点からぼんやりと考えているところです。
路地やベンチなどの街のデザインに関しても、こういった仕掛けがあった方が良いと私たちは考えています。そのため、これらを組み込んだデザインを未来に向けて進めてほしいと思い、様々なエビデンスを提供しています。
もう一つは、子供の頃から取り組む必要があるという点です。もちろん、さまざまなことを感じたり考えたりしてくれる大人もいますが、大人になってからでは、既に固定された考え方や習慣があり、それを変えるのは非常に手間がかかります。そのため、エビデンスを基に、『こういう子供が、こういうことをすると、このような結果になります』というネガティブな例と、『こういう子供が、このようなことを経験することで、こう変わります』というポジティブな例を示して伝えていけば、再生産が可能だと期待しています。やはりキーワードは『子供』です。この点について明確な答えを出すのは難しいですが、そうしたことを考えています。
石戸:ありがとうございます。統計的思考に共感します。私も、脳や神経の多様性を大切にするニューロダイバーシティプロジェクトを推進しており、活動に取り組むなかで統計的思考の重要性を感じます。一方で、先天的に特定の思考を取りやすい特徴を持つ子供もいると思います。
その際に、後天的な学びの場や周囲の働きかけによって、どのように行動変容や考え方の変容を促すかが課題となります。確かに、子供の頃から取り組む方が効果は高いかもしれませんが、それでもなおハードルは高いと感じます。どのような取り組みを実際に行っているのでしょうか。
岡:まだ具体的な取り組みにはなっていませんが、私たちが実践している簡単な方法として、子供が何か言ったときにあえて反対の意見を言うことがあります。子供は良くも悪くも思い込みが強く、それが固定観念になってしまうことがあるからです。特に最近では、SNSの発達により、自分と同じ考えを持つ子供同士だけで繋がることが可能になり、意見の交わりが少なくなることを懸念しています。
そのため、大人たちは自分の意見を持つかどうかは別として、子供が何かにむきになって言っている時に『そうかな?お父さんはそうは思わないけど』というように、軽く反対意見を投げかけるだけで十分です。説得する必要はありません。
これを実際に試してみた結果、非常に良い反響がありました。例えば、子供が1年後に『お母さんが言ってたことを思い出した』と言ってくれたり、また、ある小学6年生の女の子が政治家の差別的な発言に傷ついて泣いていたとき、先生が『宿題として調べてきなさい』と提案して、クールダウンを促しました。その結果、その政治家について調べたことで、悪い部分だけでなく、良い面や人間らしい側面も見つけることができました。例えば、孫と一緒に写った写真では、優しいおじいちゃんのように見えたといいます。
このように、物事にはさまざまな面があり、一つの見方に固執しないことが大切です。結果的に、女の子は『いいこともしている』と理解しつつも、『あの発言は許せない』という結論に至りました。すべてを見た上で『あの発言は許せない』という判断を下したことは、非常に良いことだと思います。このような取り組みは非常にアナログで素朴なものですが、将来的には何らかのプログラムとして形にできればと考えています。
石戸:ありがとうございます。まさに多様な考え方や価値観に触れることを習慣化することが重要だと思いますが、多様性を受け入れることに関する質問が複数寄せられています。
先ほども同調圧力に関する話がありました。「日本は同調圧力が強いと言われている中で、多様性の理解や受け入れは難しいのではないか。特に、一般的には地方は同調圧力が強いとされる中で、なぜ旧海部町は多様性が尊重される町になったのか」という質問が寄せられています。また、「多様性を大事にするために、例えば移住を促進する話もありますが、実際には移住者と地元の方々がうまくいかないケースも多く見られます。なぜ旧海部町はここまで多様性に対して寛容なのか、また、多様性を受け入れるのが難しいという声がある中で、どのようにそれを突破していけば良いのか」という質問もきています。ご意見を伺いたいです。
岡:1つ目の質問について、私たちが推察する範囲ですが、旧海部町がなぜ多様性を維持しようと必死なのか、その背景には歴史的な要因があると考えています。
江戸時代の末期、旧海部町は爆発的に栄えた時期がありました。それまでは本当に地方の田舎村だったのですが、材木の集積地として偶然にも良い条件が重なり、一攫千金を狙う人々が集まる『ゴールドラッシュ』のような現象が起こりました。旧海部町だけに見られた特異な現象です。この結果、多くの移住者が流れ込み、町がゼロから立ち上がる中で、多様性を受け入れざるを得なかったのです。様々な人が集まる中で、家柄や学歴にこだわることなく、コミュニティにどう貢献するかが重視され、それぞれの良さを見極めて付き合っていく姿勢が自然と形成されたのだと思います。
その後、なぜ今日に至るまでこの多様性が維持されているのかは、私自身もはっきりとは分かりませんが、たまたま町のリーダーたちが『こっちのやり方が良い』と考えて当時のやり方を引き継ぎ、それが現在まで続いているのかもしれません。地縁や血縁が非常に薄い状態から始まったことが、重要なポイントだと思います。
では、どうすれば同じような多様性を他の地域でも実現できるのかについては、本当に難しい問題で、簡単には答えられません。地方では同調圧力が強いと言われる中で、旧海部町のような典型的な地方の田舎町が『やればできる』と示してくれているのは希望的な例だと思いますが、具体的な手順を考えること自体が難しいところです。
私たちがディスカッションして考えているのは、とにかく日々、朝、昼、晩に『均質化が進んでいないか』を問いかけることです。自分の周りや家族、教室、職場などで、皆が同じような考えになってしまっていないか、上司の言うことにただ『そうですね』と同調しているだけになっていないか、確認することが大切です。集団はそのままにしておくと均質化しやすい性質を持つため、毎日チェックする習慣を持つことが重要です。
もし均質化が進んでいると感じたら、冗談半分、本気半分で異なる意見を持つ人をその集団に混ぜてみるとか、部署内で均質化しているなら人事交流を考えるなど、小さな社会から大きな社会まで、毎日チェックすることを癖にすることが大事です。これは時間のかかる草の根的な取り組みですが、少しずつ変わっていくことを期待しています。
旧海部町は『やればできる』という希望を示してくれています。これからも皆さんの問いに答えられるように、一生懸命にプログラム化できる方法を模索していきますが、今のところはこのように考えています。
石戸:海外との比較に関する質問がきています。「日本は世界で最も精神科病棟が多いと聞いたことがありますが、その要因は何でしょうか。」最近の幸福度調査のデータを見ると、日本は決して高い順位にはありません。諸外国と比較した日本の状況について、先生のお考えをお聞かせください。
岡:精神科病院や病棟についてよく言われることは、異質なものに対する不安がある人が、そうしたものが自分の周りから遠ざかることで安心を感じるという構造があるということです。しかし、なぜ日本が特にそのような状況になっているのかは、はっきりとは分かりません。
一例として海部町を挙げますが、ご存知のように、精神科病棟から地域に患者を戻そうという運動や政策が、日本ではかなり前から進められてきました。かつては40年も入院している方が多かった時代がありましたが、現在では必ずしも全てが順調に進んでいるわけではありませんが、一定の進展は見られます。特に海部町では、この取り組みが大きく前進していると福祉関係者や専門家の方々からも評価されています。海部町では、精神科病棟から地域に戻り、普通に家を借りて暮らすことが自然に行われており、比較的うまくいっているとのことです。こうした『海部町方式』が、他の地域にとってもヒントになるのは間違いありません。
少し話が前後しますが、海部町はかつて特別支援学級を作ろうという提案が出た際に、唯一反対したという歴史があります。その理由が非常に象徴的です。彼らは、わずかに他の子どもたちと違うという理由で、その子を特別枠に囲い込むことに反対しました。『社会というものは、そもそも多様な人々で成り立っているものであり、均質化してどうするのか。むしろ、いろんな人がいる方が良い』という考え方に基づいての反対でした。
この姿勢は、精神科病院の問題とも共通するものがあり、同じ課題を抱えています。だからこそ、海部町でできるなら、他の地域でもできるはずだと考えますが、一方でその実現が簡単ではないことも理解しています。そのため、私自身も皆さんとディスカッションを重ね、どうすれば良いのかを一緒に考えていきたいと思っています。現時点で明確な答えを出すことはできませんが、常にこの問題は私の頭の中にあります。
石戸:その視点でいうと、うつ病を長年患っていらっしゃる方からの質問です。「病気について打ち明けると、周りが持つうつ病のイメージと実態が違うのではないかと感じたり、体験を話すのが怖いという気持ちになることがあります。一般的な病気として認識され、普通に受け入れられる社会を作るためには、どのような対策が必要でしょうか。先ほど、海部町では「病は市に出せ」といって、みんなが普通に話せる環境があるとおっしゃっていましたが、町全体としての理解も高いということでしょうか。」
岡:はい、まさにその通りです。そこがA町と決定的に違うということがわかってきています。A町は今、若い人は理解が進んできていると思っていますが、高齢者はそのようなことに対して抵抗感が強く、どんどんうつ病が悪くなって「治療をすればよいのに。今はいい治療が色々あるので楽になるのに」と保健師さんが話しても、他人の目を気にします。
一方で、海部町では遠慮なく本人に「きっとうつ病だよ。早く病院に行った方がいいよ。」「一緒に行ってあげる」と言います。先生も「海部町の人は、家族ではなく近所の人や友達が1番に発見して、近所の人や友達が付き添って来る」と話していました。人は誰でもそのようなことになりうる、という理解ができています。
中高年の女性たちが話している時に「そういえば、何々さんが鬱になっとるんよ」という話が出ると、皆が一斉に「ほな、行ってやらないかん」と言うのです。そっとしておこうという発想はなく、「じゃあ、みんなで行こう」という雰囲気です。このような対応に非常に驚かされました。
正しく情報を理解する、身につけるということが基本の「き」だと思っていますが、情報を取る、情報を共有して伝達していくということが、非常に優れたコミュニティだと感じています。そのため、うつ病に対する誤解や間違った理解が起きにくいように思います。
石戸:関連して、次のような質問もきています。「自分のことを他者に話すというのは、他者を信頼していないとなかなかできないことです。最近では、家族でも信頼関係が築きにくく家族が崩壊することがあります。学校では、さらに先生と子供の関係が築きにくくなっています。他者と信頼できる関係を築くための方法など、家族内で育まれていることがあれば教えてください」いかがでしょうか。
岡:そうですね。これも多様性をどう考えているか、ということに関係していると思っています。海部町を観察していると、全ての道は多様性に通じるような気がします。
例えば、学校の先生に打ち明けた際に、否定されたり、理解されなかったりすることがあります。これは先生の価値観がまずあり、先生の価値観で子供を諭そうとしたり、その子の考えを変えようと試みたりするためです。先生は良かれと思って行動していますが、先生の中に多様性というものが根付いていないと、むしろ相手を傷つけてしまうことが起きると思います。
海部町ではそのようなことが起きにくい理由を考えると、海部町は「あれもあり、これもあり」で、「なし」というのがほとんどありません。多くの人が「人道的に許せないような罪は別として、本当になんでも一応ありなんだ」と言います。まず、「ありだと思って接する」という、この「あり」が多いことが、すなわち多様性です。
相談した時にがっかりさせられないという体験、それが小さい頃から積み重なっていれば、信頼して話すことができるようになります。逆の体験が多いと、当然話さなくなります。
石戸:視聴者から他にもたくさんの質問がきています。最後に2つ取り上げ、終わりにしたいと思います。1つ目は、「5つの自殺予防因子の話がありましたが、例えば最近は子供たちの中でインターネット上で様々なコミュニティを作る子もいますが、その自殺予防因子を取り入れたコミュニティをインターネット上で作ることはできますか」という質問です。確かにインターネットでどのように活かしていくかということは、とても大事な論点だと思いますがいかがでしょうか。
2つ目は、「今までの都市設計は効率化を積み上げてきたように思いますが、今後のまちづくり、とりわけ教育においてどのような点に留意して設計していけばよいと思われますか」という質問です。
岡:ありがとうございます。まず1つ目のインターネット上での取り組みについては、私たちもぜひ考えていきたいと思っています。ただ、1つ注意しなくてはいけないのが、インターネット上のグループやSNSは非常に均質化しやすいという性質を持っています。そこでの意見が一致し、居心地が良くなる一方で、少しでも居心地が悪くなったり、反対意見を言った瞬間に排除される危険性があります。この点については、非常に注意する必要があると感じています。
私たちが1つ考えているのは、ゲーム的なプログラムです。「この人はどんな人でしょう?」というようなテーマで、人は見かけと違うという当たり前のことに気づかせるゲームです。見た目からは様々な情報が得られるため、「こういう人かな」と思うのは自然ですが、「いや、違うかもしれないよ」という問いかけを通じて、子供たちが「そうか、そういう見方もあるか」と気づくことができるゲームです。1つの物事を見たときに、見方は1つとは限らないという習慣を身につけてもらえると嬉しいと思っています。
2つ目の都市設計に関しては、効率とは少し逆行する考えです。ほんの少し周り道を作ったり、人と出会う仕組みを作るなど、効率よりも人と人が接触する機会を増やすような設計を考えています。例えば、車だけで移動するのではなく、少しだけ歩くような仕掛けを作ることや、特定の目的で1つの場所に出かけたときに、目的以外のさまざまな活動ができるような機能を備えた場を作るなどです。
例えば、スポーツジムは、スポーツが好きで筋肉を鍛えたい人だけが集まる場所ではなく、他の人々とも交流できる機能を兼ね備えた総合施設のような場にするという考えです。人口が少なくなっていく中で、コンパクトシティーという視点からも、このような多機能な場が重要ではないかと話しています。
最後は、石戸の「コロナがきっかけでいままで以上にウェルビーイングやメンタルヘルスへの関心が高まっている今こそ、多くの人たちが生きやすい街や過ごしやすい場を提供し、一人ひとりが力を発揮できる社会を実現したいと考えています」という言葉でオンラインサロンは幕を閉じました。
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